「ゆとり」教育の世代が受験に入った。
先日、面接に来られたあるお母さんが、
わが子が中学時代、「都立高校の入試では漢字の書き取りはでないから、
読めさえすれば、書けなくてもいいんです。」
という指導をされてしまったと嘆いておられた。
本当に子供は犠牲者だなあ、と暗澹たる気持ちになった。
教える立場の者が、何のために子供が言語を身に付けるのか、
という本質を何も考えていない。
先日、受験とは関係ない世界の友人が、
「外国に行って、一番馬鹿にされる典型が、
英語がペラペラしゃべれて、話す中身を持っていない日本人なんだよ。」
と話してくれたのが印象深い。
英語がしゃべれるのは結構なことだが、
大学入試の英語が会話文の穴埋め(しかも、会話文を活字で・・・)というのはどうなのだろうか。
大学は何をするところなのか、
学生にはどういう学力、どういう言語力が必要なのか
という肝心なことを、教育する立場の者はもう一度考え直すべきではないか。