世間体と本人の適性
子供を教育する時、生徒を指導する時
どちらを優先させるだろうか?
「それは後者に決まっているではないか」
平常時にはそう答える。
いや、現代は平気で前者と答える大人が増えているのかもしれないが
関わりを持たないで行こう。
冷静には後者と答えるまともな大人の中にも
いざとなると言行不一致の大人も多いのではないか。
私は週に一日大手予備校に教えに行くのであるが、
毎回、物理の有名な先生と講師室で一緒になる。
先日、最近の予備校生について話をしたのであるが、
その先生がおっしゃるには
物理や数学がすこぶるできる生徒をたくさん見てきたが
その多くが東大理科三類を受けるという。
中に、どう見ても医者に向かないような生徒が少なからずいる。
自分たちの時代には考えられないことだと。
自分の適性を考えて大学や学部を選らぶ。
行きたい大学・学部があるから、
それに向けて学力をつけるべく頑張る。
これが本来のあり方であろう。
ところが、成績が良いから、東大理三に行く。
なぜなら、東大理三合格以上の名誉は受験にはないからである。
これ以上の世間体はないのである。
息子二人を理三に合格させたといって
大はしゃぎの母親の話を聞いたことがある。
大人がそういう風潮を作れば
子供は流される。
一方、GHSの生徒の親の例で恐縮であるが
大学合格後に挨拶に見えたとき
「大学合格以上に、
この一年で人間的に大人になったことが大変うれしい」と
涙を流して、お話されていった母親がいらした。
何が人間として大切であるか、
人間としての本質から軸足をずらさないこと
それが大人の器量というものであろう。