先日、ひとりの昼間部入会希望者が面談にきた。
高校を出て、すぐに社会に出、
二年を過ごした女性である。
仕事柄、一定の知性を持った人々と接する事になり、
そこで、自分が話に参加していけない悲哀を
苦しみのレベルで味わったようだ。
知的財産を持たぬ事の不安と恐怖を味わったのである。
これは大げさな表現ではないのである。
何も知らないだけに、志望として語る大学名も
法外である。
私はそれを鼻で笑うことは決してしない。
ただ、そこを目指して頑張るとすると
死ぬ思いをするよ、それでも目指したいかい?
と尋ねた。
そのとき彼女は
「私には何もないんです」と言って突然涙を流した。
受験の世界にいるわれわれは
いやいやであっても勉強をし
それが当たり前であると思っている。
大学に入って社会に出るわれわれは
一定の知性と学力をもって社会に出るわけである。
しかし、そういう道をたどらずに
最低の知的財産さえもたずに
社会に出た者の恐怖は
おそらくわれわれの想像を越えているのだ。
恐怖からの脱却が最初の動機であったとしても
やがて知性の獲得自体が純粋な喜びとなって
これまで知らなかった世界に昇ることができていったならば
志望大学への合否を越えた幸福を味わうことができるはずである。
今年も多くの若者がGHSの門を叩く。
叩きつづける若者には応えないわけにはいくまい。