前回の続きである。
東大出の役人がなぜ頭が悪いのかという問題であった。
理由の一つは、彼らが活字の勉強をしてきたからである。
勉強とは本来現実・現物を学ぶことであった。
人類の歴史がそうであるし、個人の歴史もそうであろう。
3、4歳までは我々は
現物、現実に生に触れて学ぶのである。
しかし、情報量の増大、内容の抽象化に伴い、
文字を媒介するようになる。
つまり、文字で学ぶ時間が増えていく。
それが、大学入試まで、さらに国家公務員試験まで
続くのである。
この過程においては
充分気をつけないと、
良き指導者に恵まれないと、
間違った道に進んでいく危険性が生まれる。
それは、本来文字で学んでいるということであるはずなのに
文字を学んでいるという状態にすりかわっていく危険性である。
たとえば、7x−3=4x−8を3x+5=0と式変形するとき
我々のほとんどはその文字・記号しか見ていないであろう。
そういう勉強をたくさんやらされるのである。
だからこそ、教師は
記号をいじることが勉強であるかのように生徒が錯覚しないよう
文字・記号が表している実物・実際を
可能なかぎりイメージ豊かに
生徒に思い描かせる努力をしなければならない。
しかし、現実は文字・記号の扱いが巧みな
ペーパーテスト上の秀才が量産されていくのである。
エリート役人の秀才ぶりは
こうしたペーパーテストの秀才ぶりであることを
われわれ国民は覚悟しておかなければなるまい。
現場を知ることなくペーパー資料をもとに政策を作成し
制度を改革する。
今回の医療制度改革を見ていると
彼らのペーパーテスト的秀才ぶりを思わずにはいられないのである。
もちろん、官僚の皆が皆というつもりはない。
中に、本当の意味で優秀な官僚がいることはもちろんであるし、
そういう官僚を育てる体制こそ早急に整備するべきである。
それまでは、各教育の場で、各教師の力量でそれを補っていくしかあるまい。