今日の毎日新聞に好対照の二つの記事が載っていて
面白く読んだ。
ひとつは
ユビキタス社会の建設を進めようとしている
EUの会議の様子を報告する内容で、
はじめは「EUのユビキタスがいかにあるべきか」を
じっくり定義するような
実に初歩的な議論をじっくりやっていて
専門家からすれば早く技術的な議論にどんどん進むべきだと
いらいらするほどのんびり進行していくという。
ところが回を重ねるごとに
内容が実に高度になっていて、
専門家でない事務方の人間までが
かなり専門に入った内容を理解するまでに進んでいるという。
もうひとつの記事は、記事というより
ハーバードビジネススクールの様子を書いた本の書評なのだが、
それが今の例とは対照的でいかにもアメリカらしい。
全カリキュラムがビジネスのケーススタディーで
たくさんの問題を与えられ、ディスカッションにつぐ
ディスカッションで教育が進められるそうだ。
その結果、「専門が狭くて浅い合理性でしか成り立っていないのに
幼稚なほどの自信に満ち、専門外で熟慮されてきた知見には
不案内であるのに好奇心すら抱かない。
それでいてビジネスを成功に導くリーダーシップ論は
政治や教育、医療、芸術にまで応用可能だと自負している。」
という連中の集団を形成するらしい。
こうして輩出された“優秀”な卒業生たちが
今回の金融危機・経済危機の主役を演じたことは
ご案内の通りである。
アメリカのMBA(経営管理学修士号)を持っていることが
ビジネスマンのステイタスであったのは
ついこの間のことである。
さて問題はどこにあるのであろうか?
日本の大学は入学は難しいが卒業はやさしい。
それに対してアメリカの大学は
入学はやさしいが膨大な勉強を強いられ
卒業が難しいとは
よく言われた日米大学比較である。
アメリカの大学は学生に厳しく勉学をさせるのであるから
よいのではないか!
果たして何がまずいというのであろうか?
−続く−