私が中学の時
すでに高校の参考書を勉強している人がいたものである。
私自身、中学の時に高校の参考書である
『チャート式 新化学』(数研出版)を半分ぐらいまで面白く読んでいた。
高校に入ると、
中学校ですでに高校の数学を数?まですべて終えてある
という先輩がいて驚いた。
理解の程度は定かではないが、
「その意気や、よし!」であろう。
若者にはこういう気概が必要である。
吉川先生は浪人の時に岩波新書を80冊読んだという。
意欲と気概があれが学力は飛躍的につくのである。
最近中途でポキンと折れてしまう受験生が少なからずいるようである。
外部からよく相談を受ける。
本当の気概を持って勉強していれば
そう簡単には折れないものなのだが・・・。
勉強の本質を忘れて
大学に入ることだけが目的となってしまうと
簡単に自分を見失ってしまう。
本当は大学の合格は二番目であって、
知性を磨くことが若者の第一義であったはずなのである。
知性を正しく磨けば必然的に大学に合格する、
ということであったはずなのに
いつの間にか本末転倒になってしまっている。
大学合格が本義で、勉強が手段になってしまっている。
「でも、とにかく大学に入らなければ…」
それも分かるが、しかし、本質と皮相とを転倒させてしまう時の
しっぺ返しが怖いのである。
大学合格はうまくいったとしても
いつか遅かれ早かれしっぺ返しがやってくる。
本質を見失った教育と育ちの恐ろしさは
日々事件報道としても目の当たりにしているではないか。
それが本質の本質たる所以なのだ。
人生は長い。
そうあせる必要はない。
後々のために
あくまで本質を見失わない歩みを
じっくりと進めていくことである。