今は10年遅れだという。
今の40歳が昔の30歳に相当するという意味である。
確かに、昔40歳といえば充分、おばさん、おじさんであったし、
60歳といえば、おじいさん、おばあさんであったが、
平均寿命の延びに応じて随分若々しくなっている。
ただ、それは見た目だけでの問題ではない、
精神年齢もそうなのだという話である。
いや、それも気持ちの若々しさの話だけではない。
精神年齢の成長の遅さ、要は幼稚さもである。
つまり、今の30歳は昔の20歳程度の幼さだというのである。
正確に10年かどうかなどというのはむろん問題ではない。
概してこういう傾向にあるということは
多くの人々が周囲を見回して、あるいは自分自身を省みて
常々感じていることであろう。
私は親が戦争世代であるから、
親の世代と、自分たち及び今の若者たちを
比較して見がちなのであるが、
戦争という極限の困難を経験した世代と
苦労も貧しさも知らない世代
下手をすれば
バブルのお祭り騒ぎに精神性を形成してしまった世代とが
違った倫理観・視野をもって同居することになるのは
やむをえないことである。
ただ、どうもこれはまずいという危機感も
多くの大人たちの中にはあるのではないだろうか?
「若い時の苦労は買ってでもせよ」とは
先人の人生訓であるが
こういう時代にはどんな苦労があり得るべきなのか?
戦争を望むものはあるまいが、
中には本気で徴兵制が必要だ!という人もいる。
若者には何かしらの、適度なレベルの負荷は必要である。
どういう負荷を大人が設定してやるべきか、
社会全体で考える必要がある。
教科内容をどうするかもいいが、
文科省あたりはそういう問題をこそ提起して
国民全体の議論を巻き起こしてほしいものである。