先日の新聞記事に

今の日本の原子力をとりまく在り方が

太平洋戦争末期の巨艦主義に似ているというものがあった。

太平洋戦争末期、すでに時代は戦闘機中心の時代になっていたのに

なぜ日本の軍部は巨艦主義に固執したのか。

すでに巨艦を造ることで利益を得、生活している

軍部、官僚、業界の利益集団が出来上がっていて

それを容易に崩すことができなかったからであろうというものであった。

その結果何十万という命が犠牲になったのである。

今の「原子力村」の体質はそれと同じだという記事であった。

人間は過去に学べない悲しい存在なのであろうか?

物事は一度進みだしてしまうと

それを変更することが難しくなるものである。

これは個人においても同じであろう。

一度まがい物に手を染め始めると

そこに次から次と予期せぬものが積み上げられ

さまざまなしがらみが膨らんでいって

なかなかに抜け出せなくなるのである。

だからこそ、最初の一歩が肝心である。

そしてその最初の一歩を決めるときに

本質を見る目が重要になってくる。

当面の利益に目が奪われる視野狭窄で最初の一歩を決めると

将来大きな不幸が待ち受けている。

だからこそ初めに大きな志であり、

若い時に体系的な頭を創ることであり、

それが視野を広げることであり、

本質を見る目を創ることなのである。