保安院のやらせが明るみに出て
責任者やら役人やらが釈明している。
「事実関係はこれからの調査によるが、
こういうことが指摘されること自体問題であり、
反省したい、云々」
というわけの分からないお詫びをする。
ある種定型句化した頭のいい釈明である。
お詫びの言葉を述べながら、自分たちが悪いかどうかは
まだ分からないと主張する。
釈明する役人の表情は
能面のように変化がない。
いたって他人事(ひとごと)顔である。
気象庁が地震発生直後に津波予想を3mとし、
その後5m、10m・・・と上げていった頃には
送電網が破綻していて情報が伝わらず、
3mを信じて逃げずに津波に呑まれた人たちが
多数いたという。
それを問題視し検証する気象庁の会議が開かれたという。
その様子をテレビ報道で見ていると
気象庁の役人たちもまた
そのコメントが科学的(?)で冷静であるのは良いが
「痛恨」の思いがない。
あれだけの揺れを肌で感じながら
「3m」というコンピュータの計算を
そのまま出してしまうことへの反省がない。
おそらく彼らの反省の向かう先は
コンピュータのプログラムの改良や
システムの改善がせいぜいであろう。
心のない頭だけの秀才は
そこが限界である。
ああ、はやく人づくり、人づくり
何か呪文のように唱える毎日である。