今日のニュースで吉田秀和氏の死去を知った。
享年98歳であったという。
以前紹介した東大仏文科の出身である。
小林秀雄、加藤周一(医学部だが仏文科に出入り)などとともに
私が浪人及び大学時代に興味を持った教養人の一人である。
若いときに大事なことはこういう知性と書を通して交わることである。
私が今の大学入試の英語問題に疑問を感じるのは
そうした知性と無関係の英文しか出ないからである。
要はコミュニケーションの英語ということで
軽くて長いだけの英文しか出ない。
大学生になる知性とは何かを大学は考えてほしいものである。
ところで私は浪人の時にたくさんというわけにはいかなかったが
それなりに本を読んだ。
夏目漱石の草枕、シェークスピアのロミオとジュリエット、
フローベルのボバリー夫人を読んだのは浪人時代である。
受験にアクセントをつけようという意図もあったが、
受験というのは志望の大学に見合う知性をつけることだという
無意識の理解があったからであろう。
受験勉強というのは
決して受験科目だけをやればよいというものではない。
苦手な科目を克服するというのは
その科目に時間を割けばよいということでは
必ずしもないのである。
今年受験に失敗したということは
全体としての知性がレベルに達していなかったということなのだ。
受験というのは自己の全的な知性そのものを高めることなのである。