前々回、「飛び級」改革について書いたが、

先週の新聞に面白いコラムが載っていた。

文科省が行う教育改革について

明治以来、教育改革は失敗、再改革の連続であった、

というものである。

面白かったのはあるトップクラスの大学の先生が

「日本の学生は英語は読めるが、しゃべるのは苦手といわれる。

今はうちの学生でも両方だめになってきた」

と嘆いているという話。

「学力」とは何かという把握がないままに

英会話を大学入試に導入するという愚の結末であろう。

文部官僚や諮問機関の取り巻きの学力が低いのであろう。

ある経済評論家が

「日本は全体としてレベルの高い国民と、

レベルの低い少数エリートから成り立っている」と記していて

妙に納得してしまった。

エリートたちが進める教育改革で

「大学格差、大学序列化の排除」ということが言われるが

なぜそんなに競争を害悪視するのであろうか。

オリンピック代表選考の競争は受容し、

甲子園の高校野球を満足げに眺め、

ごく少数のエリートがプロ野球に進んでいく現実には

何の疑問の持たないのに、である。

若者に競争がなくなったら伸びるものも伸びなくなるに決まっているであろう。

問題なのは競争自体ではなく

競争とは何か、何のための競争かをしっかり把握することであり

そこから競争の中身と質とを上げていくことであり

競争のための環境を作っていくことである。