努力の基準が人によって異なる。
数時間勉強して努力したと満足する人もあれば、
十時間勉強しても努力のうちとしない人もいる。
人それぞれ諸事情を抱えているだろうから
一概に基準を決められないということも言えようが
しかしそうではない。
基準はおのずとあるのである。
それは目標、目的によって決まる。
現在の実力以上の大学を目指しているのであれば
それに見合った努力が要求されるのであり
それが基準である。
受験時代私は実力からいって途方もない目標を掲げていたから
自分が努力したと満足したことは一度もない。
確かに机に向かっての勉強時間は人並みであったが
全ての時間を学力向上に結び付けようとした。
食事をしながら頭では数学の問題を解いていた。
心ここにあらずでご飯を食べる私を見て
母親が「何を考えているんだか・・・」と苦笑していたことである。
しかし、努力というものは苦痛ではない。
努力すればするほど自分が向上するのであるから
こんな楽しいことはないのだ。
若ければ若いほど伸び代は大きく
努力できる体力もある。
努力の醍醐味を味わうべきである。
努力は歯を食いしばることではない。
いや、食いしばるのだが
しかし、同時に
努力は楽しいことなのである。
そこが人生の面白さなのである。