今朝のことである。

横断歩道を渡っていると、

前を行く自転車に横から勢いよくやってきた自転車が接触した。

怪我はなかったものの、

当てられた60代の女性の自転車が歪んでしまった。

当てた側は30歳いっているかどうかという会社員風の男。

私は急いでなかったのとすぐ後ろで一部終始を見ていた関係で

しばらく立ち止まってどういう話になるかを見守っていた。

女性が被害を訴えているのだが

男が自分の非を認めようとしない。

誰が見ても男が悪いのは明瞭なのである。

色白のキャシャな感じさえする男なのだが、

なかなか引かない。

「でもあなたが急に曲がろうとしましたよね」と

強引に事実を捻じ曲げようとさえする始末。

さすがに割って入らざるを得なかった。

「今のは明らかにあなたが悪いよ」

女性も証人がいてくれてほっとした様子であった。

男が折れて近くの自転車屋に一緒に修理に行く話となった。

女性が何かのときに証人になってほしいということで

名刺を交換することにした。

しばらくしてからその女性から私にお礼の電話が入った。

うまく解決してよかった、と思ったら、

修理に行く途中男にうまく逃げられてしまったという。

自分の手際の悪さと無念さを述べた後

2千円の修理代を自分が払う理不尽となってしまったけれど

しかし、証人として残ってくれた人がいたことがとてもうれしかった、という。

その女性は子供たちや、障害者たちにピアノを教えているのだそうだ。

女性は

マナーの低下、他人への無関心といった世相を常々憂いている中での今日の出来事に、

その世相を強烈に味わいながらも

ひとつほっとできたことがとてもうれしい、

それを伝えたかったという電話であった。

私も、若いころであるが、自動車事故を起こしたときに

それを見ていた50代の男性が客観的に意見を言ってくれたことがあって

とてもうれしかった思い出がある。

そういう経験をもっているから

その女性の立場に立てば助っ人にならないわけにはいかなかっただけのことである。

どうも人間関係が事務的になっている。

日々忙しいのだから、他人のトラブルにエネルギーをとられたくない。

それがだんだん人間関係を希薄にしていく。

他人の立場に立ったり

相手の心を思いあうことができなくなってきているのである。

先の男は自分の用事に急いでいたのであろう。

しかし、自分がしでかした事故と他人への迷惑の大きさを考えれば

普通はこちらが優先のはず。

ところが、この男は自分の用事が優先なのである。

恐ろしい感覚である。

こうした風潮が積み上がっていけば

いずれ社会全体としてたいへんなことになるに違いない。

目に見えないこういう問題こそが

もっと表だって取り上げられるべきである。