人間は社会的実在だといわれる。
つまり、集団で生きる、集団でしか生きられない存在だということである。
良くも悪くもそうである。
現在報道されているいじめは論外としても
人間は人間関係に悩んで自殺さえする。
犬に吠えられて怖くなっても自殺することはない。
しかし、人間との関係では自殺まで考えるのである。
社会的圧力の強さというものはすごいものがある。
家でどんなに親に反抗し、手に負えない子供であっても
学校では大人しいというケースが多々ある。
学校の中での対教師、対友人、対先輩、対他人からの社会的圧力はかなりのものがあるのである。
それが人間の認識の自然なあり方なのである。
それを打ち破る行為があるとすれば
それは正常を越えたよほどの何かがあったということでもある。
逆に言えば、子供はそういう社会的圧力をうまく活かして育てるのがよい。
正常な社会的圧力がある集団に属し、正常な社会的圧力の中で育てるのがよいのである。
現在、さまざまな異常な事件や人物が出てきているのは
そうした人間が正常な社会関係の中で育ってきていないことが
理由の一つとしてあるはずである。
それはまた
現代社会において正常な圧力のある場が少なくなってきている、
あるいは
現代社会そのものが正常な圧力を持てなくなってきている
ということの表れなのだとも言えるであろう。
昭和を知る世代の人々は日々それを感じているはずである。
個々の事件を個々の問題、個人の問題として捉えれるのではなく
社会全体のゆがみの問題として
みんなで議論し行動すべき時期にあると思うのだが
いかがであろうか。