総選挙があるかどうか分からないながら、
自民党と民主党の党首選が行なわれ、
また、体制の大きな変換を謳う新しい政党がマスコミの話題を集めている。
各論の是非はともかくとして
今のままでは社会・国全体がまずいことになるという危機感が
タイムリーな領土問題の先鋭化の後押しもあって
国民の間に広がっているのは間違いなさそうである。
先日NHKのドキュメンタリー番組を見た。
東日本の震災復興のために
増税によって集められた復興資金19兆円のうち
4兆円が東日本と関係ないところでそっと使われている実態を
暴いた内容であった。
たとえばその資金が岐阜県の民間企業の工場建設に使われている。
沖縄県の道路工事の建設費用に使われている。
説明を求められた霞ヶ関官僚の弁舌は何のためらいも後ろ暗さもなく、さわやかである。
岐阜のこの工場で作られた製品がやがて東北で販売されていくことになり、
そこで東北に経済効果がもたらされます、と。
説明をしたあとカメラに向かってにこっと誠実な笑顔を浮かべてみせさえする。
復興資金の使い道を定める書類を作るときに、
霞ヶ関の官僚は「震災の復興のために」の後ろに
そうっと「およびこれからの震災に備えて」と付け加えた。
これで東日本以外の震災予防の公共事業が可能になったのである。
官僚たちはその頭のよさを
自分たちの省益に、天下り先の仕事に・・・と活用する。
この番組を見ながら、日本もまだまだダメだな・・・と
後ろ向きの思いを禁じえなかった。
確かに、中国、ロシア、ブラジルなど
より発展途上の国々はさらに露骨な役人の賄賂が横行し
それに比べればまだよいという見方も成り立つ。
他方で、フィンランド、スウェーデン、オランダといった国は
自分たちだけの利益を図るのではなく
役人と国民がお互いに譲歩し合い、
社会全体として前進できる体制を作りつつある。
オランダはワークシェアリングを見事に成功させている国である。
一人一人の労働時間は少なく、したがって自分だけ大金持ちになるということはないが、
失業率は最低に抑えられている。
事業者側、労働組合側が譲歩し合って
こうした大改革を成し遂げる人間的な先進度がある。
「大人」なのである。
残念ながら、日本の官僚は自分の利益を追い求める「子供」である。
しかし、日本人全体の可能性としては
こうしたことをなしえる民族性があるはずである。
それは世界から賞賛を受けた
震災時の整然とした助け合いの行動を見れば明らかである。
それを台無しにしているのがエリートたちである。
こうした現実に
国の根本を変えようという意識が高まるのは当然のことであるし、
国民的議題になることには大いに賛成である。