今母親の病気の関係で

毎週新幹線移動の状態であるが、

今回面白い光景があった。

東京から仙台に向かう新幹線。

大宮で70歳代の夫婦が乗ってきた。

自分たちの指定座席の真上に、

大きなキャリーバッグがどんと乗っている。

はきはきした老婦人で

「これはどなたのですか?」

すぐ前の座席の40代の女性のものであった。

老婦人の主張はこうである。

「座席が決まっているのに

その人が荷物が置けないほどに

場所を占拠してしまうのはおかしいのではないか。

私たちも自分たちのスペースを越える荷物は

あらかじめ宅急便に出して送っている。」

というものであった。

40代の女性も冷静に耳を傾け、謝罪をして丸く収まったことではある。

さてこれはどう考えればよいであろうか。

旅客機などでもすぐ上の収納は埋まっていて、

離れたところを使うということが普通に行われる。

客室乗務員がついていることもあろうが

全体として荷物は収まるので問題になることはない。

新幹線も空いてるスペースに入れればよいではないか、

との考えも成り立とうが

珍しく今回は見事に棚がほぼ埋まっていた。

もちろん、これは法や規則の問題ではなく

マナーや気遣いの問題であるが

こういう問題は人によって、あるいは世代によって

基準が異なる。

つまり、一つに決まる正解はないということだろう。

受験勉強の弊害の一つは「正解」があるという点である。

それは正解があるように問題を人間が作っているからである。

しかし、世の中には正解がない、

あるいはたくさんある、というものの方が多いのである。

先ほどのシーンを考えながら

頭に思い浮かべたのはそういうことであった。

受験勉強はたいへんためになる。

そこで培うことができる財産が多大だからである。

しかし、物事には反面欠点もある。

どんな問題も正解が一つだけあると思い込んでしまうことだろう。

大学に入って最初に学ぶことがその訂正であるが、

予備校でも大学合格が決まった後

この点を教えるはなむけの授業でも

企画しようか、

少し思いが発展したことであった。