「毎日新聞」に、あるフランス文学者が

毎月エッセイを載せているのだが、

今回は学力試験制度の改変を俎上に載せて

文科省が教育の本質に無知であるゆえに

その場当たり的な制度改変が

現場にとって大いに迷惑であることが述べられていた。

「文科省が何もしないことが最良の文部行政である」との皮肉は

読者の共感を得るところであろう。

問題は

文科省がなぜ教育制度を改革したがるのかという点にある。

時代が変わったのだからそれに応じた当然の改革といえば

聞こえがよいが、

役所は制度をいじることが仕事になっているからだというのが

問題の本質である。

官僚は自分の手柄をあげたがる人種である。

だから改変の必要がないときでも改変をしようとする。

自分の任期中に自分の主導で改変をし、

ささやかな名を残したいのである。

失敗したときにはこっそり立ち去って責任を取らない。

どこかに天下って安逸な老後を利益とする。

そしてあとには国民の不幸が残される。

原発も同じ構造である。

公務員制度の改革も結局は同じである。

問題は制度の改革ではなく

公務員そのもの、つまり人間性そのものの改革であるべきなのだ。

しかし、これは大変な難行である。

国民全体の意識改革を意味するからである。

今月発売の『医大受験』の「羅針盤」には

その辺のことが書かれている。

20日発売であるが、是非一読を願いたい。

賛同者の輪が広がっていくことを

ひそかに期待しているところである。