今年の東京写真記者協会の協会賞に
南浦和駅で車両とホームにはさまれた女性を救うべく
居合わせたたくさんの乗客が
車両を押して救い出した写真が選ばれた旨の報道があった。
心温まるニュースである。
先日89歳になる父が上京し1週間ほど滞在した。
家内と毎回不安だったのは
電車移動の際、座ることができるかどうかであった。
父を連れて電車に乗り込んでも
まず席を譲ってもらえそうな雰囲気がないのである。
父は「すぐだから立ってても大丈夫だから・・・」と
こちらに気を遣う。
幸い、2回ほど
優先席ではない普通の席に座っていた方が
席を譲ってくれた。
ひとりは30代の女性。
「次ぎ降りますから」と。
もう一人は70代の男性。
「立ってては危ないから・・・」と。
いずれも少し離れたところから立ち上がって声をかけてくれた。
優先席はあって無きが如し。
まず、優先席にたどりつけない。
優先席へ向かおうにも
立ってる人たちがよけようとせず
道を空けてくれないのである。
電車に高齢者が乗ってきた時に
全体として座らせてあげなくてはという空気が生まれないのだ。
日本人は協会賞の写真のように
一度空気が醸成されればみんなが動くことができる。
しかし、自分が最初に空気を創ることは苦手なのである。
何かとてももったいないような気がする。
特に都会はそれぞれが自分の世界に入り
周りが見えていない。
最悪はみんなスマホを見ているという状況である。
ひとりひとりは優しい心根を持っているはずであるから
それが自然に表に出る雰囲気作りを
どうにか工夫できないものか
つらつら考えているところである。