私は経済学部の出身で、もともと法律には疎い。
大学受験で学部を選ぶときに、法学部という選択肢は最初からなかった。
条文をひたすら覚えるような勉強など、無味乾燥でやってられるか、
との思いがあった。
もちろん今にして思えば、若気の至りなのであるが・・・。

先日あることがきっかけで、少し刑法を学んでみようという気になった。
大きな書店に行って刑法の棚を端から眺めて、いくつか手に取ってみると、
実に固い、いかにも法学部の教授が書いたという本がある一方、
初心者にわかりやすく、また出版社も文字やレイアウトを工夫した本がある。
一つ気に入ったものを買い求めてさっそく学び始めると、
実にわかりやすく、アタマにどんどん入ってくる。
すでに記憶には向かない年齢になっているにもかかわらず。
なんだ、法律は面白いではないか!
わが不明を嘆くことしきりであった。
今度は民法を、とまた書店に馳せ参じて民法の棚を端から調べ、
これがいいと一冊手に入れて現在学習中である。
この経験でつくづく思ったのは、
やはり教え方で学習者側の理解や習得のあり方が決定的に違ってくることである。
学習者の命運を分ける、人生を変えると言っても決して大げさではないほどの違いがある。
私たちは受験勉強で教える側の立場から同じことを実践しているのであるが、
今回学ぶ側の立場になって改めて実感したことである。
私が手にした刑法、民法の解説書は、
いずれの著者も学ぶ側の立場に立って、
こうすれば、理解しやすい、記憶に残りやすいとの配慮をきめ細かく施していて、読者への気遣いがよくわかる。
自分が学習者だったときに困った経験を踏まえて、かゆいところに手が届く説明をしてくれている。
私は法律の面白さとともに、執筆者の指導者としての力量を堪能しながら読み進めたことである。
さて今度は刑事訴訟法にでも行こうか!
学習者の意欲を高めてくれる解説書との出会いであった。

GHSも負けじと指導の力量をいっそう高めていかなければ!
これまた意欲を掻き立てられたこの1カ月である。