GHSは卒業生がよく訪ねてくるという話は
このブログでも何度となく紹介している。
昨日も20年前の卒業生が10数年のアメリカ留学から戻ったということで
生徒全員分の差し入れを持って訪ねて来てくれた。
これから当時の仲間と食事をするという。
卒業生たちは横のつながりも強く、また長い。
GWのときもさらにその5年前の卒業生のグループから
飲み会の誘いがかかった。
卒業してもうとうに20数年経つのに思い出して連絡をくれるのだから
ありがたいことである。
GHSに在籍したことが本人の人生においてそれなりの重きを持っているからこそ
思い出すのであろう。

時代が大きく変わりつつあり、ますます便利で、スピーディーになる一方で
世の中には、偽物とまで言わないにしても、
軽薄なもの、足が地についていないもの、深みのないもの・・・
が、溢れてきている印象はないだろうか。
何か必要なものをネットに問えば
すぐに探してきてくれる。
それが「チャットGPT」へとエスカレートしていく。
本人が深く理解しているかどうかの視点がなおざりにされて
当座の表面的な目的が達成されれば良しとする。
残念ながら、大学入試への対応でもそれが蔓延している。
中身の薄い、解き方マニュアル習得の学習が幅を利かせているようである。
GHSではそういう学習指導は決して採用しない。
意味がないからである。
否、むしろアタマをスポイルしてしまう害悪を持つからである。
将来のためになる、その人間の能力を高めて財産になる学習指導でなければ
教育という仕事は責任を果たせないからである。
だから卒業生の多くがGHSでの学びが
ある人は「大学の専門の研究でも役立っています!」と言い、
ある人は「おかげで、大学の成績も上位です!」と言い、
ある人は「就職試験の面接の際大いに役立ちました!」と言うのである。

先日も九州大学の医学部に進学して大学のスタートアップの企画をきっかけに起業し、
今伸び盛りの医療系企業のCEOを務めているI君が訪ねて来て
「GHSでの体系的な学びが会社の経営にとても役立っています!」と語ってくれたことである。
高校時代から通っていた彼はGHSの指導を徹底して身に着けた卒業生の一人である。
奥様が向学心旺盛な方で、
私も高校時代にGHSのような学習をしておきたかった・・・ということで
なあに学習に年齢は関係ないのだから、と
私が彼女に英語を使って体系的に学ぶとはどうすることかを指導し始めた経緯である。

勉強とは何を学ぶことなのかを問わずに、
解法暗記は論外としても
やたら難しい問題を解いたり
大学の知識を先取りすることが学力だと勘違いしたり、という
まがい物が周りを取り巻いているのが現代である。
そういう時代であればこそ、
本物とは何かを見極め
本物志向を持ち続ける必要がある。
GHSはあくまで本物志向の集まりであり続けたい。
それをコツコツ続けていくことが
その輪を少しずつ大きくしていくに違いないと確信している。