GHSはいろいろな生徒が入会してくる。
まじめにやろうとすることが入会の条件で、これまでの学習履歴は問わない。
中に、学習に大いに苦戦している生徒が来る。
当然勉強というものを苦痛に感じていて
面白いと思ったことがないのだろうという雰囲気を背負っている。
先日ある生徒を私が見るに見かねて、個人的に数学を教えていたとき
彼が目を輝かせ、顔を紅潮させているので、
「どうしたんだい?」と尋ねると
「こんなに分かりやすく数学を教えてもらったのははじめてだ・・・」とつぶやくように言う。
手前味噌で申し訳ないが、大事なことを書きたいので
そのまま書かせていただく次第である。
「これまでどのように指導されてきたんだい?」と尋ねると
「暗記、暗記、暗記しろ!でした。」と
悔しそうに言う。
吐き捨てるように、と言ってもオーバーではない言い方であった。
今まで苦しかったのである。
それでもとても素直な性格であるだけに
言われた通りにやったし、やるほかなかったのである。
私はこれまでの彼の2年間を思いやるだに
「なんと残酷な・・・」と涙の出る思いであった。
これまで「なぜそうするのか」を分からないままに「こうやる」を暗記させられてきた。
自分が何をやっているか分からないで学習の〝作業〟をやってるだけだから
同じことなのに言い回しを少し変えられただけで
同類の問題と思えなくなり解くことができない。
成績は上がらず、周りからは「アタマの悪い人間」と見なされ
当人も不要な劣等感を抱え込んできた。
二次関数の実数条件を教えていたのだが
私がどう教えたかというと
なぜ実数条件を考えなければならない場合と
考えなくてよい場合があるのか
それを映像化して(図として示して)当人のアタマにイメージが描かれるように説明したのである。
さらには実数条件ではないが条件を考えなければならない場合も映像化して対比させて
3種それぞれの特徴が立体的にイメージとして浮き彫りになるように
その生徒のアタマに〝映像〟が描かれるように説明したのである。
「分かる」とはどういうことなのかを分かって
そのように相手のアタマに正しいイメージを描かせられれば
そして今その生徒のアタマにどういう映像が描かれているかを確認しながら教えていけば
当人の才能やアタマの良しあしに関係なく
「分からせられる」のである。
むろんそのためには今その生徒がどこまで分かっていて
何が積みあがっていてまたいないのか等々を見抜く必要があり
そしてまたこれまでの当人の学習履歴のみならず
心の履歴を見抜いてやらなければならない。
そうしたトータルの指導が受験指導である。
「暗記せよ!」一点張りの指導が単に間違いであるというにとどまらず
それがいかに罪深きことであるかを
社会全体として共有すべきである。
素直で健気な受験生が切実に犠牲になるのであるから。