先日滞在先で
近くにある比較的大きな公園に行ってみると
50代、60代以上のご同輩たちが少なからず
ランニングをしたり、鉄棒をしたり、腹筋運動をしたり・・・と
朝7時台なのに、一所懸命汗を流している。
「みんな偉いなあ」と感心しきりであった。
文字通り〝懸命〟に頑張っているのだ。
なぜそんなに努力をするのだろうか。
もちろん同年代の私にはその気持ちがよくわかる。
それぞれに〝老い〟をひしひしと感じているからなのだ。
それに精一杯抵抗し、
老いのスピードを少しでも遅くしようとしているのである。
94歳で亡くなった父は
基本的には最後まで健康で
自由に歩き回る生活をしていたのであるが、
最後には「一度しゃがむと自力で立ち上がれなくなった」と
無念そうに語ってくれたことが忘れられない。
そこへ向かって着実に体力・筋力が衰えていく現実を
60歳を過ぎると事あるごとに実感せざるを得なくなる。
しかし実はこれは中高年者に限った話ではない。
10代の若者然り。
たとえ若者であっても
せっかく創ったものを放っておけば着実にそれが消えていく。
「ピアノの上達は1日休むとそれを取り返すのに3日かかる」と言われる。
これはピアノに限らず人間にかかわるすべての事に言えるのである。
つまり人間は誰でも放っておけばいわば〝衰える〟生き物なのだ。
だから若者は逆に努力をし続けなければまともな知力・体力を持つことができない。
そもそも大人になれないのである。
まして将来大きく、高度な仕事をして
社会に貢献できる人生を歩みたいと思うならば、
人一倍の努力をすることなしには
そういう実力を創ることができない。
どこかのテレビ番組で有名になった
「ボーっと生きてるんじゃないよ!」というフレーズは
人間の核心を突いた名言なのである。
時あたかも鍛え抜いてきた技と体力とを競い合っているオリンピックの選手たちに
公園で光る汗を流している高齢者たちに
そして難関大学合格に挑むわが受験生たちに
それを見ることができる。
努力は人間すべてに通じる真理である。
なぜならば、人生とは下りのエスカレーターを昇っていくようなものなのだから。 生きるとは努力することにほかならない。