とにかく一日が速い。
ひょっとすると地球は昔より速く回っているのではないか、と思えるほどである。
一日にやるべきことがどんどん増えていって
勢い何事も速く処理することを求められる。
でないと、世の流れに取り残される。
IT技術が発達するほどにいっそうそれが加速していく感がある。
入試問題も科目数が増え、
英文はますます長くなり、
どの科目もはやく解くことを求められる。
果たしてこれでよいのか。
どこかで立ち止まってその危うさを考える必要があるのではないか。

教育先進国であるスウェーデンが
これまで推進していたタブレットによる学習をやめることに方向転換したという。
理由は子供たちの成績が下がったからだそうだ。
むべなるかな、である。
学習にどんどんIT装置、IT機能が取り入れられている。
それ自体が悪いというのではないだろう。
ITに伴う何かがマイナスの作用をしているのだ。
何だろうか?
私などは目が弱いから、ディスプレイがまずダメである。
目が強い人は良いか・・・。
うーん、どうだろう・・・。
紙は何がよいか。じっと動かないことである。
全体が見れることである。
「全体が見れる」というのは、
ある本(参考書でもよい)があったときに、
その中の1ページを見て学習しているときに
私たちは全体の中のその1ページという理解を無意識に感じ取っている。
何かを全体像の中に位置付けてみるという認識を育てているのである。
さらに
紙の学習ではその1ページ、あるいはその中のある個所をじっと見つめて思考を巡らせる。
タブレットでもそうすることは無論あるが、
そうすることがメインであればタブレットである必要がない。
タブレットはスピードを要求しているのだ。
もしかすると紙の映像とタブレットの画面では
目への、したがって脳への焼き付きに差がある可能性もある。

少し話がずれてしまったが、
要はこういう時代こそ
スピードを落として、じっくり事を見つめ、
広く深く思考を巡らせることが必要なのではないか。
スポーツ選手や芸事を学んでいる人々はみな知っているはずである。
スピードをつけると技が崩れることを。
目標が素早い動き、素早い思考であっても
最初はゆっくり創っていかなければならない。
目を見張る素早い指の動きを見せるピアニストは
最初にスピードの練習をしたのではない。
まずゆっくり丁寧に指を動かしていったのである。
だんだんに、徐々にスピードを上げてったのだ。
そして
行き詰ったときにはもう一度ゆっくりした動きに戻して創り直す。
どの芸事、どのスポーツもみな同じである。
学習(=アタマの技づくり)も同じである。
スウェーデンは早くにそれに気づいたのではないだろうか。
我が国の教育関係者も
今のスピード重視の入試問題の誤りに早く気付いて
もう一度じっくりアタマを創っていく学習を
日本の教育の根幹に据えてほしいものである。