あるスポーツの監督が
家庭内の問題で警察に逮捕されるという
残念な事件が報道されている。
誰が悪いとか、問題の原因はここにあるとかを
語る資格も意志も私にはないが、
それよりも
私が感じたのは“今の時代のゆがみ”である。

父親に暴力を振るわれた娘は
どうするべるきかをチャットGPTに相談し、
指示に従って児童相談所に連絡し、
児童連絡所は警察に通報し、
駆けつけた警察は父親を逮捕し署に連行した・・・。
この一連の流れには「人間」が不在である。
「人間の心」が不在である。
人の心が脇に置かれている。
連絡を受けた機関は法に則り、マニュアルに従って
“適切”な対応をしたのだというだろう。

連行される父を見て娘は泣き崩れたという。
何という残酷な・・・。
法とマニュアルを見ている警察に
その後のこの家庭が待つ世間の冷たい風、
特に娘にこれから一生残る心の傷と今後の人生に
思いをいたすことはなかったことになる。

情を持たないAIに相談すれば
相談者の一方的なプロンプトに従って答えを出すのであるから、
それは無機的になる。
なぜ「母親と相談して」とならなかったのだろうか。
この情の欠如はなぜなのだろうか。

通常家族というのはどの人間関係よりも濃く、情が深い。
この家庭も例外ではなかったはずである。
それが無機的な機械、無機的は法とマニュアルによって
まさに外部から土足で踏み込まれ、壊されたということではないか。

これが今の時代なのだと
私たちは目の前に見せられ気づかされたということではないだろうか。
この無機的な恐ろしさを突きつけられたということではないだろうか。
先端技術は有用であり、法は必要であり、機関は機関として責任ある行動をとらなければならない。
しかし、社会は技術や法だけで動くものではない。

社会は人間の集まりであり、人間には情がある。
情が社会をつなぎ、社会を保っていることもまた大きい。
こういう時代であるからこそ、
私たちは、
家庭で、学校で、町内で、地域社会で、職場で、
つまり社会の底辺・土台において
人間としての自然な情をしっかりと醸成しておかなければならない。
そうしなければ社会が崩れていくことを覚悟しなければならない。
今回のニュース報道で
戦慄を憶えるというレベルで何よりも強く感じたのはそのことであった。