受験勉強の目的は知性を磨くことにあるのだが
その知性の中身はとなると
どうしても各科目の内容に目が行きがちである。
しかし、それ以上に重要なものに
状況(条件)を客観的に見る力、
条件を見落とさない注意力
思い込みを疑ってみる柔軟性
具体化と抽象化を自在に移動する機動力
全体像を立体的に把握する力、
・・・・
と言ったものがある。
これは人間の知性・知力一般であるから
どの科目の学習でも用いているものであり
どの科目の学習の場面でも学べるし、学ぶべきものである。
こうした力の過不足が著しく表れやすいのが
言語読解つまり「文章読解」においてである。
入試科目で言うと「現代文」や国立大学二次試験レベルの「英文読解」である。
実はこの実力を付けるのがたいへん難しい。
他の科目は正解および正解に至る論理を最終的には納得できる。
しかし、実は文章読解においては
なぜ自分の理解が間違っているのかを
本人が理解できない、承服できないという現実がままある。
その大本に主観の強さがある。
他の科目(理科や数学や社会)では主観を排除することができるが
文章読解では主観がまとわりつく。
それが主観であることを本人が納得すること自体が難しい。
多くの人間関係の軋轢もここに由来する。
主観が強い受験生は
現代文や英文読解で苦戦する。
主観が強い人間ほど
自分が正しいと信じ込む。
自分の間違いを認めたがらない。
受験勉強における「文章読解」の重要さを
近年ひしひしと感じつつある。
受験生のみならず
親世代を含めた現代の日本人の「文章読解」の低さを
いろいろな場面で思うのである。
これは怖いことだなあと思う。
人々の主観の集合が社会を動かしてしまうからである。
直接的には受験生のということであるが
こうした事態への危機感ゆえに
GHSでは、「現代文」の授業を増やすことにした。
さらにはまもなく
『思考訓練の場としての文章読解』を出版する予定である。
これについては、また次回書くことにします。
