「分かる」にもいろいろなレベルがあるのだが、
受験勉強で求められるレベルはそう高くない。
にもかかわらず、受験生の中には
分からないままに勉強して違和感を覚えないものがある。
受験は紙に書かれた文字や記号で問題が出されるのであるが、
その文字や記号だけを見ている。
文字や記号が伝えている映像・情景・感情・・・を
ありありと思い描かなければならないのに、
表面的な文字や記号の操作だけを覚えて満足している。
どうも小学校でそういう教え方をされたらしい。
割り算の意味が分かっていない。
だから、速さと時間と道のりの関係が映像として頭の中にない。
ただ、「み/は・じ」とだけこれまた記号で暗記させられてきている。
受験の最大の弊害がこれである。
文字や記号は手段であって、何かを伝えている媒介物なのだから、
それが伝えている「何か」をこそ一所懸命分かろうとすること、
それが受験で大切なことであり、
それを分かる力をつけることが
受験のひとつの大切な目標なのである。
文字や記号は使うものであって
文字や記号に使われては本末転倒である。