現代はスピードの時代である.

モノや情報があふれ,

素早い処理が求められる.

受験の世界でも,成績の良い生徒は

何をやるにも確かに速い.

昔に比べ,大学入試の英文の長いこと,長いこと・・・.

それを短時間で読んで,正解を出した者の勝ちである.

そこから当然のように,スピード信仰が生まれる.

スピードは必要であり,悪いと思わないが,

スピード信仰は良くない.

ここでいう「スピード信仰」というのは

何でもスピード,最初からスピードという思い込みである.

「這えば立て,立てば歩めの親心」という言葉があるが,

これは周知の通り,本当はそうあってはならないことを知りつつも,

つい我が子の早い成長を望んでしまう親の思いを表現したものである.

つまり,逆から言えば,

土台創りの段階ではスピードは禁物であることを

昔の人はちゃんと知っていたわけである.

スピードが必要なのは特定の場面に限られる.

何でも速(早)ければよいというわけでは決してない.

特に,何においても最初はむしろゆっくりでなければならない.

受験も同じである.

早く始めればよいというものではない.

今,数学で,図形,特に立体が苦手だと訴える受験生が増えている.

テスト用紙という平面の世界で活字で指示された立体を

頭の中でイメージすることができないのである.

それはそうであろう,

子供のころをビデオゲームで過ごし,

小学校の5年生から塾通いでは

立体とじっくり戯れる時間があまりなかったはずなのだから.

やはり子供のころは自然という本物の立体に親しみ,

木に登り,遠近感を養い,

建設中の家に入り込んで,見つかって叱られるまで,

立体図形を外から内から眺め,触り・・・して

じっくり「学力」をつけるべきなのに,

急いで「紙」の世界に移ってしまっては

後で肝心なときにかえってスピードが出なくなるのである.