先日、学校での評定について

絶対評価を採用している学校と

相対評価を採用している学校とがあって

入試の内申書の扱いという点でも

混乱があるという記事があった。

昔は皆、相対評価だったわけだが、

努力の成果を誉めて子供を伸ばそうというので絶対評価が採用され、

5段階評価でクラス全員の評定平均が4.2

ということもあるのだそうだ。

しかし、実際高校入試をやってみると

実力の差があって、絶対評価による内申を

そのまま受け入れられないという。

実は絶対評価とは名ばかりで、

ただ、「生徒の心を傷つけないように」という

優しさの時代を反映した

情実評価がはびこっているというだけなのだろう。

運動会でみんなで手をつないでゴールテープを切らせましょう

というのと同じ発想である。

しかし、どうにも発想が短絡的に過ぎるのではないか?

誉めて育てることが大事である、

ということ自体はよいとして

それをすぐ数字として表現しようとする、

そこが短絡的に思えるのだが・・・。

相対評価の時代に誉めて育てる発想はなかったのだろうか?

そうではあるまい。

相対評価はある意味、スパルタ的である。

そこで打たれ強さを養う効果もあった。

その上でその厳しさを裏からフォローする力量を持った教師が

多数いたのである。

小手先の制度だけいじろうとするから

裏目裏目に出る。

教育行政は、

もう少ししっかりした人間論、教育論を

中心に据えてほしいものである。