だいぶ空いてしまった。

前々回、東大出身の官僚たちが頭が悪い理由に二つあると述べて、

前回、ひとつを述べた。

もうひとつ述べなければならない。

端的にはものを体系的に見れない、大局を見れないということであり、

結局は志の無さから来るものである。

時代的強制とも言えようが、

これだけ情報が多い時代になると

全体を体系的に認識し、大局的に見ることができなくなっていくものである。

しかし、だからこそ、頭を創る大事な受験勉強時代に

体系的なものの見方を養う必要があるのだ。

体系的にものを見るようになれば

必然的に、物事の本質を問う思考性・志向性が出て来る。

何のために勉強をするのか、

何のために官僚になるのかと

問うことになるのだし、

そうすれば必然的に国家・社会のために

さらには人類の発展のためにという

本質を見失うはずはないのである。

残念ながら、現在の彼らの受験勉強、

現在の東京大学にはそれが薄いのであろう。

官僚自らの保身が優先する行政に国民が苦しみ喘ぐ

という現実が

その悲しい証左である。