私は英会話はできない。

ただ、できた経験はある。

学生時代、40日ほどヨーロッパを

気ままに旅行したことがある。

30日間は大陸(イギリス以外)を彷徨し、

片言の英語で宿の予約をしたり、

同じ旅行者であるインド人やオーストラリア人と

英語で話す機会を持ったりで

だいぶ英語が操れる気になって

イギリスに飛んだら、

全く英語が分からない。

やはり本場ではダメかと落胆したのであるが

10日もいるうちにだいぶできるようになって

あと3ヶ月ここにいれば日常会話は不自由しなくなるなあ

との自信を得た。

東西冷戦たけなわでロシア上空を飛べない当時、

帰途は往路同様南回りで35時間のフライトだったのだが

その間、隣席のイギリス人ビジネスマンと

ずうっと英語で話をしてきた。

途中、乗客の英国老婦人に

「あなたは日本人なのに英語が上手ね」と褒められ、

大得意でもあった。

しかし、日本に戻って一ヶ月もすると元の木阿弥。

ほとんど英会話はできなくなっていた。

以上が私の英会話体験である。

日常会話とはそういう性質のものだと思う。

いつ何時でも英会話が即座にできるようでありたいのであれば

日常そういう努力を維持しなければならない。

果たしてそんな暇が普通の日本人にあるのか、

そこまでする価値がわれわれ日本人にあるのか。

それなら少しでも日本語を磨くことにエネルギーを注いだほうが

よほど文化的、

つまり人間の精神生活として充実しているのではないか

と私は思う。

少なくとも、大学入試に英会話能力を求める愚を

一日も早く排除してもらいたいものである。