また、新たな年の始まりである。

例年の始まりと違う点は

こと、経済に限っては今年は最悪になることが

初めに分かっていることであろう。

100年に一度の大不況である。

多くの国民が苦しみをなめなければならないことだろう。

ならば、こういうときであればこそ、

社会の問題を洗いざらい出す

良い機会にすべきである。

こういうときでもなければ

問題が先送りされて

より大きな形で不幸が国民を襲うことになるであろうからだ。

議論百出の年となってほしい。

そして、「責任」という意識が根付いてほしいと思う。

教育の分野で言えば、

この間までゆとり教育を謳っていたかと思うと

今度は学習内容の拡大で、

まさしく朝令暮改である。

問題はそうしたことに誰も責任を取らないという体質にある。

責任を取らなくてよいからいい加減に政策を作ることになる。

アメリカのビッグスリーの経営者が

議会で徹底して責任を追及されているのと同じ様子を

日本でも見られるようにすべきである。

グリーンスパンでさえ

自らの過ちを謝罪している。

過ちは仕方がない。

しかし、責任を取らなくてよい

謝罪しなくてよい土壌で犯す過ちは

不幸を必要以上に大きくしてしまうのである。

ゆとり世代の子供たちがどういう負い目を背負って

これから社会をわたっていかなければならないか

おそらくゆとり教育を推進した人々は

現場の感覚として分かっていないであろう。

今年は

日本がもう一段成熟するよいチャンスであってほしいと思う。