先日、ある雑誌を見ていたら、

偉大な数学者の郷里を訪ねると

息を呑むような美しい自然や寺院があるという。

子供の頃に培われた感受性・感動力が

学問的業績に通じているという内容が書かれてあった。

よい話だと思った。

最近、現代文が苦手だという生徒を指導していると

感受性が薄い。

繊細な部分に感応する感受性が薄いのを感じるのだ。

だから、文章の中のつながりを察知できない。

子供はよく遊び、よく学べと古人が言う。

この言葉の重さを噛みしめる必要があるだろう。

紙の上での勉強の前に、

現物と身体感覚全体で触れ合う感動を豊かに経験しなければならない。

それが本物の学力に通じていくのである。

西の空を赤く染めて沈んでいく夕日に

落涙するほどの感動を覚えない人間が

学問などできるはずはないのである。

理性と感性とは決して別物ではなく

密接につながっているものなのである。

人間は総合的、全体的な存在なのであるから。

今回の経済危機の本質的な問題は感性がないことである。

経済を感性と無関係のものとして動かしてきたアメリカ型に

小泉・竹中が日本的感性を入れる深みのないままに

そのまま追随してしまった悲しさが

今の日本の不幸の元になっていると私は思う。

丁度、サブプライムローンの設計者である

学校秀才ルービン元財務長官が天下り先のシティー銀行を

辞職するニュースが流れた。

ハーバード大学を主席で卒業した大秀才である。

大秀才が大秀才ゆえに世界に不幸を広げ、

自ら栄光を消し去っていく現実を、

未来の秀才は直視すべきである。

もう一度健全な人間の感性を取り戻す時間を

今こそ持つべきで、

豊かで、繊細微妙な自然と文化的遺産を持つ

日本の優れた感性を見直す機会を

じっくり持つことができるならば

今後に明るい展望も大いにありうると思うのである。