受験勉強には二つのギャップがある。

このブログでさかんに

紙の上での勉強、

文字と記号での勉強の危険性を強調してきている。

それは紙での文字と記号での知的活動である受験勉強に

二つのギャップがあるからである。

一つは受験勉強で扱う法則やそれを表現した数式などが

現実との間に持つギャップである。

紙の上に描く放物線は理想上のものであり

実際にはいろいろな条件が錯綜して

理想的な放物線は現実には存在しないといってよい。

それをわかった上で学ぶという心のゆとりが必要になる。

それがないための失敗を経済学がたびたび犯してきている。

二つ目は記号や数式を学習する際に

イメージなく、記号・数式を記号・数式のままに頭に入れかねないというギャップである。

以前書いた、なぜ判別式を使うのかわからないままに

こういう流れのときは判別式

という解き方をしているような例である。

前者については大学受験ではある程度目をつぶらざるを得ない面がある。

ただ、受験勉強を余りに早くからやると

つまり、小学生の時点からやると

現実を感じ取れない怖い秀才が出来上がる危険を

大人は理解しておく必要があるだろう。

大学受験で怖いのは二つ目のギャップである。

中学受験に比べ

大学受験の中身は当然抽象度が高いものとなる。

それだけ記号や数式として表現されたものの中身を

充分に豊かなイメージとして理解することが

難しくなっていく。

受験の成果を最優先する指導者の中には

このギャップを埋めなくてもよいと考えるケースも多数出てくる。

「受験は暗記だ」と説く人々がその類型に属する。

しかし、それで一体何が獲得されるのであろうか?

そんな意味のない受験勉強に

膨大な時間を費やすことに

どんな意味があるというのであろうか?