「情」。「じょう」であり、「なさけ」でもある。

「惻隠の情」、「武士の情け」という。

日本語のすごいところはこの深さである。

私の母が一ヵ月半の入院をへて

幸いにも退院することができた。

一度は本当に覚悟しただけに

生還の幸運をしみじみと噛みしめている。

私がこのブログでもときどき話題にする吉川先生が、

母の退院を喜んでくれて

沖縄(現在住)から果物を母に送ってくれるという。

私はその気遣いに感謝しつつも

お痛みかけるし、

また

私の母のことであるから必ずお返しをする。

齢87歳と84歳の父と母であるから

また街に出て行って買い物だなんだでたいへんだろうと

心遣いに深謝しつつ、遠慮した。

そのことを母に告げると

「なぜ、折角の気遣いを断るの」とたしなめられた。

「でも、またお返しを買いにいくの大変だろうし・・・」

「そんなこと、どうってことないよ。いくらでも買いにいくよ。」

「それに、お袋、あまり果物食べないだろう?」

「そんなことないよぉ・・・」

このようなやり取りを仙台の母と電話でしたことである。

日ごろ「果物は特に好んで食べようとは思わない」と言っている母なのである。

早速吉川先生に事情を伝えると

「お母さん、俺に気を遣ったんだなあ、明日早速送るよ。

お返しは全くいらない。また果物を送りたいと思ったときにいつでも送れるように長生きしていてください。それがお返しですと伝えてくれ。」

母が私からそれを聞いて吉川先生の気遣いをまた感じ入っていた。

父が早速街に出て行って笹かまぼこの詰め合わせを送ったのは言うまでもない。

私と吉川先生の両方を知る人は

決まって「どうして仲がいいのだろう?」と不思議がる。

私と吉川先生は確かに人間としてタイプが全く違うのである。

しかし、前世兄弟だったのではないかというくらいに仲がいい。

理由ははっきりしているのだ。

この「情」なのである。

私も、吉川先生も情が分かる人間なのである。

吉川先生は普段は表向き情とは無縁のように振舞って見えるが

上のやり取りで分かるように情を機微というレベルで分かる人間なのである。

吉川先生は7,8年前にお母様を亡くされている。

そしてまた彼の母親に対するその深い愛情を私はよく理解していた。

だから、身内だけで行われた葬儀にも

私は親戚以外からただ一人、車で高速をとばして駆けつけたのであった。

その悲しみがようく分かったからである。

日本の歴史と文化には情がある。

それがこの国が高い文化を持つ所以だと思っている。

今年育文社と協力して『医大受験』を創刊したのも

商業主義に毒された受験にまともな「情」を取り戻すためである。