文科省が本格的に飛び級を制度化するという。

優秀な人材に早いうちから専門を学ばせて

国際社会で活躍できる人材を養成するということらしい。

しかし、何を持って「飛び級に値する人材」と判断するのか、

そしてそういう制度ができると

「飛び級」を目指す塾がまたぞろ出現してくるであろうし、

そうやって生み出された秀才が

「飛び級に値する人材」ではなくなることに

どう対応しようとしているのだろうか、

飛び級する本人は幸せなのだろうか、

そしてそもそも早いことはよいことなのか、

等々の問題に解答を持っているのかが問題である。

結局、常に発想の根本が

効率や生産性の追求であるという点が問題なのである。

教育とは何かがなく、

人間とは何かがない。

おそらく、「ゆとり教育」を掲げて失敗し、

それにこりてまた教科書を厚くするだけのゆり戻しをやるという

これまで繰り返してきたお粗末な文部行政が

また繰り返されるだけのように思えてならない。