私の母の妹、つまり私の叔母が

茅ヶ崎の介護老人ホームにいる。

10年前に訪問したきり

ずうっと無沙汰をしていたのだが

今週、機会を得て面会に行くことができた。

半身不随で、認知症でもあり、言葉を交わすこともできない。

小柄だが、若いときはふくよかな

そして何より元気のよい、はきはきとした叔母であった。

10年ぶりに会った叔母は当然というべきか

小さく、かわいい、やせ細った老人であった。

御年80歳である。

私を見たその顔は驚きの表情であった。

私が名を告げ、手を握ると嬉しそうな、泣きそうな表情になった。

分かってくれたのだと思いたい。

叔母の若いときを知り、

またいろいろと苦労した過去も知るだけに

骨と皮だけになった叔母の手を握りながら

涙を堪えることができなかった。

ベットと車椅子に据えつけられ

毎日判で押したような食事と風呂と睡眠の繰り返しを

続けるだけの生活を強いられる叔母は

はたして幸せなのだろうか。

そのフロアーでは20数人の入所老人が集まって

若い担当者のリードにしたがって

童謡などを歌うリクリエーションを行なっていた。

みな一様に無表情である。

人生とは何なのだろう。

改めて問わずに入られなかった。

今の日本がこれだけ豊かな国になったのは

ここにいるこの老人たちの頑張りのお陰なのである。

我々は彼らに報いなければならない。

しかし、どう報いようがあるのだろうか。

平均寿命がますます延びていく社会である。

人間がどう人生を終わるべきなのか

考えさせられた一日であった。