新学期早々、隣国から悲しい事故のニュースである。

春秋に富む若き高校生が多数犠牲になっている。

しかも、真相は全くの人災である。

船長、船員が我先に逃げ、最低限の対処すらしていない。

救助活動は命令系統が統括されず、混乱を極めている。

責任者は皆自己保身に走り

体裁の良いウソの情報を流しては撤回し、

マイクを向けられれば、責任逃れの答弁に終始する。

船会社は利益追求で船を増築し

ウソの申告をして信じがたい超過積載をしていたようである。

要はすべて人間の質がもたらした災禍である。

隣国のマスコミは国家の危機ととらえて報道している。

それは正しい報道であると思う。

それほどに人間の質というものが社会の命運を握るのである。

それはどの国も同じことである。

日本もそれをしっかりと検証しておかないと

同じ轍を踏むことになる。

人間の質を決めるのは教育である。

ひとたび人間の質が落ちれば教育の質も落ちる。

後戻りできない負の循環が始まる恐ろしさがある。

韓国の識者はおそらくそれを恐れているはずである。

教育とは何も学校だけのことではない。

社会の風潮は常に子供に影響を与え

無形の教育となって作用している。

いまや、教師が自分の担任するクラスの入学式よりも

自分の子供の入学式出席を優先して

世論は「そのどこが悪い」と言いはじめている。

利他よりも利己が優先でどこが悪いと・・・。

怖いことである。

この国も少しずつ傾き始めているのではないだろうか。

大人が今のうちにしっかり議論し、基盤を固めておかないと

集団で感覚がマヒする事態がやってくる。

社会論、社会教育論の議論が巻き起こるべきである。