書店に行けば、学習参考書コーナーに

たくさんの参考書が並んでいる。

考えてみると面白いものである。

なぜこうもたくさんの勉強の仕方があるのだろうか。

人によっていろいろな見方があるから面白いのだ

ということもあろう。

世の中に英語の勉強の仕方がひとつのみとなったら

それはそれで気味が悪い。

しかし、大学に入るべき学力をつける方法が

こうもバラバラだというのもそれはそれでおかしな話である。

野球の練習方法、サッカーの練習方法は

指導者によるある程度の違いはあろうが

そこに最大公約数の道筋はある。

ピアノ、バレエ、歌舞伎、能などとなったら

基本の練習方法はかなりしっかりと出来上がっているであろう。

しかし、受験勉強は

あまりに指導者の個人プレーに任され、

切磋琢磨と言えば聞こえがよいが

悪く言えば野放し状態である。

昨日までの人気参考書が明日はだれも見向きもしないでは

何とも悲しい世界である。

そうした受験界に掉さしているのが

『思考訓練の場としての』シリーズである。

多田先生の『英文解釈』は

もう何十年にもわたって

本物志向の知的受験生に読まれ続けている。

この4月に出た市川先生の『漢文解析』が

注文殺到の状況とのこと。

受験生のみならず

教養の価値を知る知的社会人も

求めてくるようである。

受験で終わらない受験参考書こそ

本物ではないか。

受験がただの受験で終わらない知的世界になるべく

今後も『思考訓練の場としての』シリーズが

気を吐いていくことだろう。