明治維新が1860年代、

敗戦が1940年代。

それぞれの時代に生きた人々は

大変な激動を生き抜いたわけである。

そうしてみると

われわれの世代だけが激動と無縁で一生を過ごすなどと考えるほうが

むしろ不自然というべきであろう。

著しい少子高齢化による時代の雰囲気の変化は

大きな時代の変化を感じさせるに充分である。

政府は昭和の高度成長期と変わらない成長戦略を探っているが

もう土俵が違うのだという認識が必要である。

時代が若いときに可能であった成長路線を

今同じく再現できるはずはないのである。

それは若い時にできた運動を

中年・老年になってできるわけがないし

やっていいわけがないのと同じである。

高齢化社会をしっかり見つめて

そこで日本は何を目指していくべきなのかを

しっかりと考えるべきであろう。

それは小手先の転換ではなく

これから明治維新、敗戦と同じくらい

劇的なパラダイムの転換があるはずである。

われわれの世代だけが、激動なしに人生を終えることは

できない。

その覚悟を決めなければならないであろう。

しかし、どういう激動にするか

それはわれわれの知恵が決めるものである。

それが何か物質的なものではなく

文化的な、精神的な豊かさに向かうパラダイムであるべきであろう。

知と理と徳と情に価値を置くあらたな時代を

日本が創るべきだと思う。

GHSはそういう担い手をたくさん世に送り出したいし、

実際送り出してつつあると自負している。