今回の台風の被害は甚大である。
災害を天災と人災に分けることがあるが、
明らかな人災は批判の対象となり、
一定の改善へと向かうものの
天災と見える(見せかける)人災が多々あって、
問題の本質が覆い隠され、また同じ災害の悲劇を繰り返す。
近くでは武蔵小杉の再開発地区の被害が報道されている。
ここは姉がかつて住んでいたところで、良く遊びに行ったのであるが、
その頃はタワーマンションなどはほとんどなかったのに、
今はどこがどこなのかわからないほどの高層ビル街になっている。
その近代的な再開発地区が大きな水害にあった。
ここは江戸時代には沼地だったそうである。
その後工場地帯になっていたものが
バブルの崩壊とともに企業が撤退し、
川崎市がディベロッパーと組んで再開発したということらしい。
もともとは絶えず川の水が入り込んでくる後背地なのであり、
治水が進んでいるとは言え、
何か事あれば大変な被害を受ける地域であることを知らずに
多くの人々が入居してきたのである。
ではなぜ、自治体や開発会社はその危険を告知していなかったのであろうか。
言うまでもない、またしても資本主義の負の側面である。
企業がいなくなって税収が激減した自治体、
大規模開発で潤うディベロッパーが
金儲けを優先したのである。
「今回は特別な台風だった」と天災にすれば責任は逃れられる。
そしてまたこれが繰り返されるのである。
現代日本はこうしたまやかしのオンパレードではなかろうか?
関西電力の小判、かんぽ生命の顧客軽視の契約・・・
呆れるばかりの金亡者劇場である。
問題は表に出たものがこれだけあるとすれば
表に出ていない「人災」が多々あるであろうということである。
何が悪いのか。
「金儲け邁進の資本主義が悪い」それもそうであろう。
しかしたどっていけばすべては人である。
台風は天災だとは言っても、地球が温暖化して台風が巨大化している元をたどれば
人である。
人が本当の意味で賢明になるしかないであろう。
目先の金儲けにだけ都合の良い頭の良さを創るのではなく、
大局を見れる賢明さを教育は創らなければならない。
さもなくば、『猿の惑星』の最後のシーンのように
廃墟となった文明の残骸をわれわれの子孫が目にすることになるであろう。
現代の日本人はどんどん愚かになっているように見える。
頭のいい愚かさが蔓延している。
政府は大学に対し、実利が得られる学部を優先に構成せよとお達しを出す。
現場が大反対している中で新しい英語の共通テストを強行しようとしている。
大局を見れる力を養う教育が必要ではないか。
「頭のよさとは何か」を問う必要があるのではないか。