もう12月である。
先月の実力テストの結果を踏まえて、全員の面談を進めているところである。
これからセンター試験や私大入試の本番へ至る作戦や
具体的な志望校の方向性といった内容になるが、
一方で実はもっと上のレベルで話の花が咲くことも多々ある。
面談ではこれまでの受験勉強の感想を聞くことから始まるのであるが、
「勉強することが楽しくなってきた!」という声が多いのである。
本当は勉強は楽しく、ワクワクするものなのであるが、
それを初めて体験したという声が少なくない。
勉強は楽しいと思うからやるのであり、その延長線上に大学がある、というのが
本来の姿なのであるが、今の日本の教育界は何かおかしいのである。
あるお母様は、
「まさか息子が、予備校でこんなに楽しい、充実した生活を送ることになろうとは
思ってもみませんでした」と語ってくれたことである。
ものごとの深いところを分かり始めることは、
人間にとって、それはもう、至福であり、生きている嬉しさであり、
ますます勉強しようということになろう。
成績が一気に上昇するのは理の当然である。
本人曰く、「とにかく勉強が楽しくて、今年目標の大学に行けなかったらもう一年勉強します!」
「おいおい、今年入ってしまえよ・・・」
もちろん、これはある高みに達したことのサインとしての言葉である。
私も浪人の時にある高みに達して、
「もしこれで東大に不合格となったとしても、悔いはないな」と思えたことである。
何か大学の合否を超越する達成感が生まれ出てきたのである。
だからこそ、問題なく合格したということでもある。
そういうレベルに達する生徒がちらほら出てきていることは
学び舎を開いている者としてはこれにすぐる喜びはない。
そういう共鳴の場としてGHSはあるのであり、
その目的は日々、達成されつつある。
先のお母様曰く、
「失礼ながら、GHSは名前さえ知らなかったのです。本当に出会えてよかったです。」
GHSは有名にならなくてよいのである。
共鳴する人々の間での、「素晴らしい世界」であれば、それでよいのである。