3月も半ばとなった。
受験の世界では、国立大学の後期試験の発表を残すのみで
それぞれの受験生は合否が大方判明して、
歓喜と無念、希望と落胆が交錯する複雑な季節でもある。
合格した諸君は、大学に夢をはせ、次の世界へ羽ばたいていく。
無念の涙を呑む諸君も、
その思いが自分と自分の人生を高めていたことに気づく時がきっと来る。
どちらも、「人間万事塞翁が馬」であることを忘れてはならない。
他方、今年の悔しさをばねに
来年を目指す若者がGHSを訪ねてくる時期でもある。
何かを抱えて全国からやってくる若者との出会いは
私にとっても喜びの瞬間である。
よく、合格体験記にここでの私の面談に衝撃を受けたことを書いているものが多い。
何も特別なことをやっているわけではない。
ただ「分かる」とはどういうことか、どういう状態かを説明し、体験させるだけである。
しかし、目を輝かせる若者が驚くほど多い。
そしてそれに心から感動した生徒は驚くほど実力が伸びるという事実がある。
逆に私は不思議に思う。
なぜ世間ではこんなことを教えていないのだろう、と。
この肝心なことを教えず、いきなり数学を、英語を教えているのである。
しかも、数学を教えるのではなく、問題の解き方を教える。
「分かる」べき中身ではなく、「操作マニュアル」を豊富に、熱心に、指導しているのである。
それで実際一定の成果は得られるのであるから、
高望みをしなければ、問題なく受験時代を通過していることも多い。
他方、何かがおかしいと感じ、
本物を得られず、本物を求めてさまようまじめな若者もたくさん生み出される。
そういう若者の中にたまたまGHSを見つけて訪ねてくる者がいる。
そこで目を輝かせる若者はGHSが「合った」のであろう。
先日も、私の方が驚くほど目を輝かせた若者がいた。
いままでたくさん勉強してきたそうだが、楽しいと思ったことがなかったという。
今日初めて「分かる」嬉しさを知ったという。
満面の、小学生のような純真な笑顔に、こちらの心が洗われるようであった。
日本の教育が貧困なのである。
先日このご時世にわざわざ大阪から訪ねてきた若者がいた。
新幹線がガラガラでしたと、屈託のない笑顔を見せる。
現時点での成績もなかなかよい。
でも本当に頭を良くしたいのだ。知性を磨きたいのである。
私と物理の田川先生との話に若者らしい希望に満ちた笑顔を膨らませる。
世界は今大変である。
しかし、だからこそ若者が健全に育たなければならない。
本物の実力がある若者を育てていかないとならないのである。