いよいよ今年の大学入試シーズンが始まった。
今年はさらに「大学入学共通テスト」の初年度という意味で感慨深い大学入試でもある。
「知識をそのまま答える問題ではなく、思考力を見る問題を作成する」とのコンセプトで注目された「共通テスト」であった。
二度にわたって試行テストが行われていたこともあって、ある程度予想されたような問題であったといってよい。
ただ、受験生がどういう成績を出すことになるかは、まだ予想にばらつきがある。
毎年全国平均予想を出す大手予備校3社の予想点(1/19午前時点)を見てみると、900点型では最大20点ほど違っている。
昨年と比べて理系900点型でTは22点下がると見、Kは12点下がると見、Sは2点しか下がらないと見ている。
おそらくかなり下がるのではないだろうかと個人的には思っている。
もっとも、最上位層は多少問題が難しくなろうと、どう形式が変わろうと高得点を取る。
すでに成績を報告してきているGHS生の中でも、820点を取っている生徒がいるのはさすがである。
問題はそのもう少し下の学力の受験生で、この層はむしろ平均点の下落以上の打撃を受ける傾向がある。
この層の全国の受験生の分布がとりわけ国立大学医学部を目指している受験生にとって最大の関心事である。
あと2,3日で答が出るであろう。
さて問題の質の方であるが、おおむね好評のようである。
まだすべてを検討していないが、私も以前より良くなっているものが多いと思う。
ただ今後の改善点、しかも根本的な改善点としてあげたいのは、問題量に対する解答時間の短さである。
「思考力を見る」というが、
「思考」という言葉にふさわしい修飾語は「速い」ではなく「深い」であろう。
「じっくり考える」のが「思考」のはずである。
ところが実際は即答を求めている。
資料を読み解いて答える問題になっている社会は、60分で32,3問に答えなければならない。
1問に2分も掛けられないのである。
国語は大問4つで80分しかなく、大問1問につき20分で長い文章と長い選択肢を読ませて、文章を味わう暇もなくシャカシャカと答えていくことを要求する。
これは根本的な矛盾ではないのか。
この点は昨日の「日本経済新聞」も指摘していた。
特にひどいのが英語である。
もう嫌になるほどに長い文章を読ませる。
以前ニューヨークに5年いたという帰国子女の生徒に
「日本のセンター試験の英語のレベルは、アメリカで言うと何年生ぐらい?」と聞いたことがある。
彼女いわく「うーん、大体小学校5年生から中学校2年生くらいですね・・・。」
「共通テスト」になってさらに文章が増えた分、内容は実に幼稚である。
一体日本の教育行政は自国の大学受験生にどういう学力を求めているのだろうか?
受験生の学力を見るテストの工夫とともに
それを作成する日本の教育行政側の見識のレベルを見るテスト問題を必要としているのではないだろうか。