予備校生は目標に向けて必死に受験勉強を頑張ろうとしているのだから、
予備校は勉強だけ教えればよい・・・
というわけには残念ながらいかない。
生徒は生身の人間であり、
勉強にはときどきの思いや感情、さらには精神的な成長度が絡まないわけにはいかないからである。
そこにまた我々教える側の苦労もある。
よく遅刻してくる生徒がいる。
正当な弁明があるわけでもなく、注意をすると本人もかしこまる。
しかし、また遅刻してくる。
予備校であって学校ではなく、時代も違うから、「グランド10周!」というわけにもいかない。
はじめ「遅刻するということがどれほど自分にとって損失か」を滔々と説いた。
殊勝な顔で聞き、改善を誓う。
しかし、また遅刻してくる。
どうも私の見立ては間違っていたようだ。
今度は「遅刻してくるということが、どれほど周りの人にとって迷惑か」を諄々と説いた。
成果があるかどうかは今しばらく見てみなければならないが・・・。
これまでこの生徒を観察してきて見えてきたことは、
要は、周りが見えていないのである。
簡単には精神的な成長という点でまだ小学生並みの子供なのだ。
子供は自分の欲求のままに行動しようとし、それが周りにどういう影響を与えるかを考えようとしない。
「考えようとしない」というよりも「考える能力がまだ発達していない」のである。
しかし、浪人生にもなって、周りが見えないというのは本人にとっても問題が大きい。
それは視野が狭い、全体像をもって問題にあたることがでない、ということであるから、
成績にも当然かかわってくる。
特に国語系の成績が伸びない。
理数系科目は図式化できるので全体像を見せてやることができるが
国語系は微妙な論理や人間の心理がかかわってくるので、難しい。
現にその生徒は文章を自分流に解釈する。
自分の認識を筆者の認識に重ねることができず、
自分の認識に筆者の文章を引っ張り込もうとするのである。
これを正すのはなかなかに困難である。
人間としての成長と絡むからである。
今の日本人は、周りが見えていない、見ようとしない人々が増えたのではなかろうか。
大通りを歩いていると、わき道から平気でいきなり人の目の前に割り込んでくる。
またビルの出口から、左右を見ることなく、いきなり通りに出てくる。
他人の歩行を遮ることになるという発想がない。
人の流れという視野がない。
あるのは自分が前に進むことだけである。
こうした事例が今の日本人全体の劣化の流れの一コマにすぎないように思えるのは、
私の杞憂であろうか。