毎週火曜日の日経新聞の朝刊の教育のページに
「受験考」と題したコラム記事が載る。
どこかの塾・予備校で教えている人が書いているようなのだが、
温かい生徒へのまなざしがあって、なかなかうがった内容が多い。
私がブログで書いていることと重なる視点も多く、
女房が「これ、あなたが書いているんじゃないの?」と
冗談交じりに尋ねて来るほど。
真剣に生徒の今と将来とを考えている教育者は
同じようなことに気づき、思いを抱くのだと思う。
ひとつ面白かった話は、
生徒に自分で主体的に筋を通して考える力を養わせるために
ある時わざと間違った解答を黒板に書いてみるということをやってみたという。
ところが、翌日すぐさま生徒の母親から
「教師が解答を間違えるなんて、言語道断!」と
塾にクレームの電話が来たそうだ。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は大げさかもしれないが、
この母親のように、浅い思考で大きな声をあげる人々が
今の日本をますます浅く、薄い国にしていくのだろう。
ただ一方で、
私の周りの経験からすると、
まだまだ大所高所から物事を考え、
ふところ深く子供を見守る大人たちも多数いることは間違いない。
そうした大人たちが大半を占める社会でなければならないと思う。
先日家の近くのJRの陸橋を渡っていたら、
小学5,6年生と思われる男の子が電車を見ていた。
おそらく電車好きでよく来ているのだろう。
もしかすると少し知的障害があるか、とも思われる。
その子が電車が来ると両手を大きく広げて背伸びをしながら手を振る。
上りの電車が来れば右へ、下りの電車が来れば左へ・・・。
弾むように手を振り、気持ちがこもっている。
そうすると何回か電車の運転手が軽く警笛を鳴らすのだった。
何となく心が温まるよいシーンであった。
「不要不急の警笛を鳴らすとは何事か!」と
さきの母親はクレームを寄こすであろうか?