年末も押し迫ってだいぶ寒くなってきた。
日本海側はたいへんな大雪とのニュースが流れている。
毎年そうした季節の中で受験生は目前に入試を控える。
模擬試験が続々と返ってくる季節でもある。
事の良し悪しは別として
何しろ成績に序列をつけるのであるから
よい成績で喜んでいる受験生とともに
成績が振るわず苦しんでいる、かつての私のような受験生が同じだけいることになる。
社会は何かと序列をつける。
序列化は廃止すべきだという意見もあろう。
しかしそう考える人も一方で優劣を競い合うワールドカップを楽しんでもいるのだ。
序列の下位になることをみんな嫌がる。
当然であろう。
しかし、
自分の非力を突きつけられること、
実力不足を目の当たりにすることは悪いことなのか?
もちろん、辛いことではある。
苦しいことでもある。
だが、必要なことでもあるのだ。
実はそれはむしろ宝物を得たようなものだとさえ言えるのではないか。
なぜならば
成長するためには苦しむことが必要だからである。
楽しいだけで成長できないのか。
確かに苦しむことなく楽しみながらだけでも一定の成長はできる。
一次関数的な、しかも傾きが0.3くらいの成長はできる。
それで競争に勝てるのであればそれでもよいのだが、
それではワールドカップの予選を通過できなかったのだ
と言えば、分かりやすいであろう。
彼らの一人一人にどれほどの危機感と挫折と苦しみがあったかを思ってみなければならない。
そこに日本中が感動したのであろう。
自分の非力を突きつけられ
苦しんで何とかしようと必死に頑張る人間は
二次関数的に、加速度的に成長していくからである。
苦しみは飛躍的な成長の原動力となる。
しかしその必死の努力は決して辛いだけのものではない。
努力の中身自体は楽しいものにできるのだ。
それは方法論の問題でしかないからである。
今模試の結果に暗い思いを抱いている受験生は
それを危機感に変えて、必死に努力すべきである。
むしろ今の危機的な状況が飛躍的な成長のバネになるのだから。
ココロに危機感を持ち、
一方でそれとはまた別に正しく学習する楽しさを味わえる受験勉強は
最高の成果を生むことになる。
GHSはそこに価値を見出しているのである。