先日外部の方(高3生の保護者)から相談があってそのときに伺った情報である。
最近のGHSは大半が医学部受験生であるために
私自身近年の東大受験の詳細な情報に疎くなっているのであるが
話によると
東大合格を量産する予備校(塾)がやたらと難しい数学の問題を解かせるような指導をしていることに
東大が反発して今年は易しい問題を出した、というのである。
そういう指導をすることが無意味であるというメッセージを東大が発信したとのこと。
大人たち(保護者たち)の間にも、
数学の難しい問題が解けるということに一体どういう意味や価値があるのか、
という素朴な疑問が上がりだしたそうで
子供にそういう指導を受けさせることをやめる動きがあるという。
久々の朗報である。
やっと世間もそうした指導の愚かさ、否むしろ害悪に気づき始めたということであろう。
数学の問題の難問というのは、一定程度を超えると
それはきわめて空虚なものになる。
実体を伴うものでないだけに、
実社会で直接役に立つものでないだけでなく
将来的に役に立つアタマの使い方でもなくなるのである。
むろん、一定の段階までは数学的な思考は将来的にもたいへん役に立つ。
しかし屋上屋を重ねた難問は教養にはならず、空虚なアタマの疲労でしかない。
何でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのである。
こういうエスカレートに大人がブレーキを踏まなければ子供たちが犠牲になる。
私は3月のプレ授業とオリエンテーションで「受験勉強をどのようにすべきか」を指導する。
「アタマをどう働かせるべきなのか」を指導する。
今回も前期の実力テストが終わり、これから夏を迎えるにあたって
再度勉強の仕方について話をした。
そこで話した学習の方法は
われわれの世代には当たり前の勉強の仕方でもあるのだが
今の生徒たちには新鮮に響くようだ。
今の高校や塾での受験指導がいかに歪んでいるかを示しているとも言える。
そろそろ本当の意味で
何のための若者の思考訓練なのか
若者たちはその時代にどういう教養を身に着けるべきなのか
若者たちにどういう知的訓練をさせることが本筋なのか、を
大人たちがしっかり見定める必要があろう。