またしても前回のブログからだいぶ時間が経ってしまった。
私も60代後半になり、何かとまわりに不義理のできない用事が多くなっている。
私は両親はすでに送り出しているのだが、
父の妹に当たる叔母が95歳で健在であり
子供がいないために甥の私が最後の面倒を見る約束になっている。
そのために施設を探したり、
やっと入れた施設を一定期間過ぎれば出なければならず、また次の施設を探したり、である。
本人が聴覚障害を持っており、年相応の認知機能の低下もあるだけに、
なかなかにたいへんである。
人間の老化に伴って生じるさまざまな面倒は自然の摂理だから仕方がないとしても
この間つくづく嘆かなければならなかったのが、日本の社会システムである。

たとえば叔母の施設移動に伴って住所変更の手続きを役所にすることになった。
甥の私が代理で転出届を出すのに、本人の委任状がないとできないという。
もう車いす生活で、手足の筋肉も衰え字もまともに書けなくなっているのにどうやって委任状を書かせろというのだろうか。
それを何とかクリアして今度は新しい自治体へ転入届を出すことになった。
私が窓口で書類を書かされる。
叔母の住所を私の住所と同一にする手続きなのだが マンションの号室の書き方を転出先からもらった書類の書き方に従って書いたら、書き方が違うという。
自治体によって号室の書く位置(要はマンション名の前に書くか後ろに書くかの違いなのだが)がちがうのだ。
「なぜ違うのですか?」と問うと、「自治体ごとに決めているんです。」との答え。
なんと不合理なことだろうか。
住所の理解に誤解を生まない書き方であればどちらでもよいとするか、
全国で書き方を統一するかすべきであろう。
こんなことをいちいち書き直させるという非生産的なこの国が
人口が2/3のドイツにGDPで抜かれるのもむべなるかな、との思いであった。

もっとひどかったのは一年前の出来事である。
叔母がある会社の株を少々持っていてそれを処分して現金に変えておきたいということで
私がまた代理で証券会社に電話した。
売却が本人自身の意志であるかどうかを確かめなければならないということで
証券会社の担当者が訪ねてきた。
担当者が本人と会話をしてその様子を持ち帰り
本社の会議に諮るのだという。
幸い、会議を通っていざ解約ということになった。
担当者が改めて今度は書類をもって施設に訪ねてきた。
一年前だから今よりはまだ何とか字が書けたのだが、震える手を押して何とかである。
時間もかかる。
今度はそこで会社の売買担当者に電話で「○○会社の株を○○株売ります」と告げてくださいという。
面と向かっても音声での会話ができず、
筆談でなんとか成り立たせているのに
電話の声が聞こえるわけがないではないか。
何のために担当者が二回も来て本人の意志を確認しているのだろう。
すったもんだで、とにかく電話で伝える文言を繰り返し暗唱練習させて、
本社とつながっている担当者の携帯を耳に当てたタイミングでそれを発声してもらって・・・
で何とか通過したのである。

さて、そのあと書類を二枚書かなければならないという。
全部本人の自書でなければならないという。
この場面で私はまたたいへん驚いた。
書類に日付を書くところがある。
「令和○○と書いてください」という。
一枚目書き終えた。
さて二枚目の大半(住所や名前など)を難儀して書き終えて
次に日付をを書いて終わりという場面。
私と担当者が油断をした隙に叔母が「20・・」と西暦で書き始めてしまった。
瞬間、担当者が「あっ!」と声を上げた。
「日付は令和でないとだめなのです。でももう一枚用紙を持っていますから、
これにもう一度書き直してください。」
これまでの経緯を見れば、また一から住所、名前・・・と書き直すなど
これはまた大事業である。
私が「二重線引いて訂正というわけにいかないのですか?」と問うと、
「ダメなんです・・・。」
担当者も申し訳なさそうではある。
しかし、何という不合理な制度だろうか。
こんなことを重視する日本の生産性が上がらないのは当然ではなかろうか。
この国は何か抜本的な改革が必要だなあと身につまされて感じている日々である。
何が本質で譲ってはならないもので
何が自由であってよいものなのかの区別がつかない。
何が幹で何が枝葉なのかを整序できない。
これが今の日本の貧困の根源であるような気がする。
だからこそ、
その識別力、
立体的にものを見る学力を付けることの大切さを謳っているのがGHSである。
体系的とはまさにそういうことである。
それが求められているからである。
わがGHS卒業生がこの日本を改革してくれることを期待しよう。
ちょうど昨日、25年前のGHS生が9人ほど集まる同期会があった。
私も呼ばれて参加してきたのであるが、
さすがにGHS卒業生である。
皆それぞれの世界で立派に活躍していて
楽しく、希望を感じさせるよい集まりであった。
その話は別の機会に紹介したいと思う。