ノーベル賞の発表も一段落というところである。
京大の山中教授の医学生理学賞受賞は
大きな話題となった。
人間の体細胞を初期化するというのであるから、
過去の受賞研究とは一次元異なる世界の絶賛を浴びている。
難病治療に画期的な道を開く可能性を持っているようであるから
素晴らしい研究である。
それだけに悪用されるようであると
人間に大きな災禍をもたらすことも考えられるという。
人間は良くも悪くも
こうしてパンドラの箱を開けていくことになる。
核エネルギーもそうであった。
あとは人間の良心が科学の発展についていけるかどうか
良心の発展の研究が必要であろう。
そうした中、iPS細胞を人間の治療に用いたと語る
怪しげな日本人がでてきた。
多くの人が不思議に思っているのは
どうして絶対にばれるうそをつくのだろう?ということだろう。
ばれた時にどういうことになるか、考えないのだろうか?
ということの不思議さである。
記者会見では部分的に間違いを認めながら
うそにうそを重ね塗りしているように見える。
ますます自分の首を絞めている。
世間に認められたいという
まがい物の目標を求めてしまったことの帰結なのだろうと思う。
賞というものはもらえれば嬉しいものであろう。
しかし、賞がいつしか目標になっていくと、
不幸への道を歩み始めるのである。
山中教授が賞賛されるのは
難病患者への心からの愛情が研究の原点であり
一貫しているからである。
逆に先の怪しげな研究者の無様さは
動機がそこになく
自分の表面的な名誉を中心に回っていることにある。
まだまだ良心の研究も必要なようである。