今週から新学期が始まった。
一部の教科をオンライン授業で開始し、一部を緊急事態宣言解除後に開講する形での新年度開始にした。
大手予備校は開講を遅らせるところが多いようだが、
GHSは総人数が少人数であるので機動性を持っており
早速の受験勉強の開始となっている。
オンライン授業で画面に映る生徒の顔もやる気に満ち、
我々教える側も、
通常とは違うものの、あるいは通常とは違うがゆえに
新たな創意や工夫を生むことができ、
災い転じて福となすの相である。
こういう時にこそ、GHSの受験勉強が体系的であることのありがたみ、強みが発揮される。
授業で本質を伝え、そこからどう広げていくべきかを生徒は理解し、
系統立てられた教材で学習を進めていけるのである。

今年の新規募集の面談で面白い傾向があった。
GHSの方法論を面談での私の指導でちゃっかりもらってしまおうという意図が見え見えの来訪者が何人かあったことである。
だが、それは無理なのである。
私はもちろん惜しげもなく他の人たちと平等に同じ授業をしてあげたのだが、
それを簡単に自分のものにできるほど、その方法論は浅くはないのである。
そう考えるところに自分の知性の限界があるのだということに気づくべきなのだが・・・。
一度聞いてものにできるほど易しいものであれば
みなすぐに成績優秀者になるであろう。
でもある意味微笑ましいひと時ではあったことである。

GHSは毎年、一年一年「本物」度を上げている。
毎年進歩し続けている。
そうでなければ、人生をGHSにかけて全国から集ってくる若者たちに応えられないであろう。
私が受験生の時に、同じように受験生に自らの知性をすべて注いで応えてくれた指導者たちがいた。
私たちはその伝統を守らなければならないのである。
日本経済新聞で『思考訓練場としての現代国語』を取り上げてくれた
京都大学の佐藤卓己教授が「受験文化」を研究しておられ
今のコロナウイルスの状況が改善したあとに
GHSにお越し下さることになっている。
そういうレベルの話に花が咲くことであろう。
楽しみである。